リアル!中国大陸記

中国大好き~! 京都出身の筆者が中国ローカル旅を記録します。

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旅順口区(新市街)の歴史的建築物~施設編~

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遼寧省大連市旅順口区にある歴史的な建築物を紹介していきます。
旅順と言えば「坂の上の雲」で有名な日露戦争激戦の地で、旅順港は今でも軍港です。
軍施設の周りには写真撮影禁止の看板や立ち入り禁止の看板をしばしば見ます。

旅順の詳しい歴史についてはネットや文献で検索してください。このページで重要なのは歴史的な出来事ではなく、繰り返された旅順の占領の歴史です。
ざっとウィキペディアさんの情報から掻い摘んでみると。
1878年北洋艦隊の根拠地となり町が形成される。
1895年に日本に占領される。
1900年からはロシア帝国租借地となる。
1905年再び日本に占領される。
1945年ソ連が占領。
1950年に隣接する大連と金州と合併。
1955年中華人民共和国に返還。
並べてみると中国日本ロシア日本ロシア中国…。
コロコロと街の主が変わると、公共の施設などの仕様も変わる。
軍事的な拠点があったところから、建築物も威厳ある頑強なものが多い。
徐々に発展したのではなく、元々はあまり何もないところから先端の技術を持ち込んだので道や区画はとても整備されており、現在においても新しささえ感じる。
中国の東北部(旧満州)の都市は、占領の歴史を辿っている場合が多いことから都市計画というのがしっかりされていて非常に興味深い。

えーっと、話が長くなりました。
旅順口区の新市街の建築を紹介します(/・ω・)/

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旧旅順ヤマトホテル
かつて満州鉄道が経営していた高級ホテルです。
旅順にもあり、ここがその跡だそうです。
大連やハルビンのように現在も高級ホテルとして営業しているのではなく。人民解放軍の招待所となったりして、一般向けにはなっておらず。訪問時は入り口が固く閉ざされ窓も外れていたりして廃墟となっていました。
外観もこれがヤマトホテル!?と疑ってしまうほど簡素。
昔の写真と見比べてみても、確かに類似している点があるので本物だとは思うのですが、違うところの方が多くて時代の流れを感じました。

ちなみに、大連ヤマトホテルについては宿泊レポがありますのでご紹介しておきます!

realchina.hatenablog.com

 

そのヤマトホテルのお向かいに建っているのがこちら!

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旧旅順師範学堂
ロシア統治時代の1901年に建てられました。白い壁に黄色い線が美しい建物です。今は何も使われていないのか。かなり色あせてきていて壁にヒビも入っているし。屋根に木まで生えてきちゃってますが(;´Д`A ```そんな姿になっても、非常に立派でアーチのバルコニーがモダン~!
最初はアメリカ人向けの雑貨店だったそうです。
1916年からは教育機関として使用されていました。旅順師範学堂は東北地方初の中国人教師養成学校。旅順高等女学校は旅順、大連初の女学校として多くの生徒がここを飛びだって行きました。 

 

 

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旅順博物館
1917年開館。日本占領時代の建築です。ぱっと見た感じ日本らしさは感じませんが、レリーフに桜花が使われていたり塀のデザインが神社の鳥居に似ていたり。わかり易い日本らしいデザインが使われています。
内装については別ページで詳しくレポートしていますのでそちらをご覧ください。

realchina.hatenablog.com

 

こちらは旅順博物館のお向かいに建っている施設。

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関東軍指令部
現在は「関東軍司令部旧跡博物館」となっています。何度か行きましたが人気が無く閉まっているようでした。改修工事中なのでしょうか?よくわかりませんでした。

 

市街から北へ少し車を走らせたところにあるのはコチラ。

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旧旅順刑務所
現在は「旅順日露刑務所旧跡」として博物館になっています。
レンガ造りの3階建てです。右下の写真の1階と2~3階のレンガの色が違うのは、1階部分がロシア時代に建てられたもので、収容人数が多くなって増築されたのが2~3階部分なんだとか。2通りの建築様式が混ざっていて、その違いをみることができます。牢屋の大きさや設えなんかも資金のあったロシア時代は大きく強固で鉄の使用量も多かったり。
刑務所は日本の網走監獄に高校の修学旅行で行ったことがあったので、そこと対比させてみたり。
しかし網走と違って、ここはあまりにも死刑になった人の数が多すぎて…。
何とも言えない空気と気分を味わったのでした。

 

 

 

 

その他の建築物。

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廃墟だったり、何かの施設だったり、古楽器の博物館だったり。

 

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最後はコチラ。
左上;勝利塔
1955年戦争終結10周年とソ連の占領軍の引き上げを記念して建設された塔。
高さは終戦の年にちなんで45メートルあるそうです。
右上;中蘇友諠記念塔
1955年建設開始1957年完成、革命遺跡及び革命記念建築物となっています。
左下;レリーフ
市街から新市街に行くときに白玉山をぐるっと回り込む沿岸ルートではなく、白玉山の真ん中をトンネルで行くルートを走った時に。トンネルの出口に山肌を使って彫られた旅順を象ったレリーフ
右下;旅順軍港
海辺からはバリケードや建物で見えなかったのですが、泊まっていたホテルの部屋が高台にあったので窓から見れました。軍艦!カッコイイ~!!

   

ということで。
旅順の歴史的建築紹介でした~~。